ポリコーム群タンパク質複合体による神経幹細胞運命制御

発生時期依存的な神経幹細胞の運命転換が、「細胞自律的に何らかのタイマーを使って起こっているのか?」、 あるいは「細胞外からの指令を受けて起こっているのか?」という興味深い問題がある。 これまで、幹細胞をひとつだけ取り出してin vitroで培養しても運命転換が観察されることから、 少なくとも細胞自律的なメカニズムが存在するだろうと考えられてきた(ただし、細胞外因子の寄与を否定するものではない)。 我々は、この細胞自律的なメカニズムの実態として、ポリコーム群タンパク質複合体によるクロマチン状態のエピジェネティックな変化が 貢献していることを見出した。以下にその概要を述べたい。


当研究室では以前に、マウス胎児大脳新皮質由来神経幹細胞のニューロン分化をinstructiveに誘導するシグナル伝達として Wnt-βcatenin経路が重要である事を報告した (Hirabayashi et al. Development 2004)。 Wnt-βcatenin経路はニューロン分化運命の決定因子であるNeurog1, Neurog2等の発現を誘導し、分化を惹起する。


もしWnt-βcatenin経路がニューロン分化期にのみ活性化していれば、大脳発生過程でこの時期にだけニューロン分化することの説明になったかもしれない。 しかしながら、神経幹細胞においてWnt-βcatenin経路はニューロン分化期以外(増幅期、グリア分化期)においても活性化していた。 例えばグリア分化期の神経幹細胞で転写因子βcatenin活性化は起きているがβcateninの直接のターゲットであるNeurog1の転写は 誘導されていなかった。なぜか。


我々は、実はグリア分化期になると、Neurog1遺伝子座がポリコーム群タンパク質複合体(PcG)により「不活性型のクロマチン状態」になっていること、 それが故にWntシグナルが入ってβcateninが活性化してもNeurog1遺伝子の転写が誘導されないこと、を見出した (Hirabayashi et al. Neuron 2009)。 PcGの必須構成因子Ring1Bをグリア分化期に入る前に神経幹細胞で欠損させると、Neurog1遺伝子座が許容状態になり、 普段ニューロン分化が起こらなくなる時期になってもニューロンを作り続けた。


PcGはNeurog1に限らず、時期依存的な運命転換に関わる多くの遺伝子座を、特定の時期に不活性化することが明らかになってきた。 例えばニューロン分化期の中で神経幹細胞は次々と生み出すニューロンの種類を変えるが、深層(6,5層)ニューロンを産み終える際に 深層ニューロンの運命決定に重要なFezf2遺伝子座をPcGが抑制することを見出した(Morimoto-Suzki et al. Development 2014)。 このように、PcGこそが細胞自律的なタイマーに従って次々と分化運命に関わる遺伝子をタイミングよく抑制し、 運命転換を司るマシナリーの中心因子として働いていることが示唆された。

ポリコーム群タンパク質の二つの活性は神経幹細胞の「分化能あり」「分化能なし」をそれぞれ規定する

グリア分化期において、ポリコーム群はニューロン分化関連遺伝子群を「強固に抑制」している(ニューロン分化能の喪失)。 その後この細胞でこれらの遺伝子群は転写されないからである。一方、ニューロン分化期の神経幹細胞の中でも ニューロン分化関連遺伝子群は「仮抑え」されていて、分化がトリガーされると仮抑えが解除されニューロン分化遺伝子群の転写誘導が起きる。 ポリコーム群は、この「仮抑制状態」をも担っている。我々は、実はポリコーム群タンパク質の持つ異なる分子機能が、 ニューロン分化遺伝子のニューロン分化期における「仮抑制」とグリア分化期における「強固な抑制」のそれぞれを担っていることを見出した (Tsuboi et al. Dev. Cell 2018)。前者はヒストンH2Aのユビキチン化を介し、後者はPRC1の重合を介することを示す結果を得た。 現在、さらにポリコーム群タンパク質の分子機能の使い分けについて検討し、組織幹細胞の「分化能あり」「分化能なし」状態を規定する原理について 明らかにしたいと考えている。

HMGAタンパク質による運命転換

ポリコーム群タンパク質がニューロン分化関連遺伝子を抑制してニューロン分化期からグリア分化期への転換を促進して神経幹細胞のタイマーを進めているのと同時に、 我々はHmgaタンパク質と呼ばれるクロマチン構成因子が神経幹細胞のニューロン分化期を規定するタイマーの一つであることを見出している。


Hmga1とHmga2という2つの遺伝子から産生されるHmgaタンパク質は、ATに富んだDNA配列に結合してクロマチン構造を変換する分子であるが、 神経幹細胞においてはニューロン分化期に一過的に発現が高くなることがわかっている(Sanosaka, Nishino, Kishi, Kuwayama)。 我々は、神経幹細胞においてHmgaタンパク質を過剰発現したところ、ニューロン分化期が延長することを見出した(Kishi et al. Nat Neurosci 2012)。 さらに、すでにグリア分化期に入った神経幹細胞にHmgaタンパク質を過剰発現すると、再びニューロンを産生するようになることがわかった。 この結果は、Hmgaタンパク質が神経幹細胞の分化能を若返らせることができるリプログラミング因子であることを示唆している。

最近では、神経管閉鎖前の神経幹細胞に遺伝子導入する新規手法を開発することで、増殖期からニューロン分化期にかけて、 Hmga2が神経幹細胞のニューロン分化能を獲得するために重要であることを示唆する結果を得ている(Kuwayama et al. bioRxiv 2020)。 これらの報告から、Hmgaタンパク質が発現していることこそが神経幹細胞のニューロン分化期を規定していることが明らかになってきた。


では、Hmgaタンパク質はどのようにして神経幹細胞のニューロン分化能を制御しているのだろうか?我々はこれまでに少なくとも 3つのメカニズムでHmgaタンパク質が神経幹細胞のニューロン分化能を制御する可能性を見出している。

まず、Hmga2は神経幹細胞のニューロン分化能に重要な遺伝子の転写を、その遺伝子座に直接結合することで活性化することがわかっている (Fujii et al. Genes Cells 2013; Sakai et al. Genes Cells 2019)。我々は、Hmga2の下流で発現が上昇する遺伝子を網羅的に解析することで、 Igf2bp2やPlag1というこれまでに知られていなかった新規神経幹細胞の運命制御因子を同定することに成功している。

また、Hmgaタンパク質は神経幹細胞のクロマチン構造を核全体でグローバルにオープンにすることも明らかになっている(Kishi et al. Nat Neurosci 2012)。 体を構成する全ての細胞に分化ができるES細胞は、クロマチン構造をグローバルにオープンにすることで様々な遺伝子が転写できる状態に維持され、 多分化能が維持されていることがわかっている(Meshorer)。神経幹細胞でもHmgaタンパク質によるグローバルにクロマチンを オープンにすることでニューロン分化能が維持されていることが示唆される。

最後に、Hmga2はポリコーム群タンパク質と拮抗して働くことも示唆されている(Kuwayama et al. bioRxiv 2020)。 上述の通りポリコーム群タンパク質はニューロン分化能を抑制するが、Hmga2とポリコーム群タンパク質が触媒するH3K27me3修飾は ゲノム上で排反に存在することがわかっている。このことから、Hmga2はポリコーム群タンパク質の活性を抑制することで、 ニューロン分化関連遺伝子の転写を誘導している可能性がある。


一方で、現在までにHmgaタンパク質がどのようにクロマチン構造を変換し、標的の遺伝子座を制御し、 神経幹細胞にニューロン分化能を賦与するかの全容は明らかとなっていない。我々は今後そのメカニズムについて、 Hmgaタンパク質の分子機能の解明を通じて明らかにしていきたい。